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あれから今日までの私について

私は、現在結婚はしていません。でも恋愛は山ほどしました。つまり恋愛の機会は多かったのです。その例として見合いを26回しました。私は26歳から35歳まで患者さんの紹介で見合いをさせられ結局私が多忙なせいもあり全部断りました。 また、4年間製薬会社にいたせいもあり個人病院や病院を1日30くらい訪問する中で私と結婚したいといってくださる事務員もおられ何度かお付き合いさせていただきましたが結局会社や得意先の人との恋愛は禁止するという会社の方針で結局その恋も実らずに終わりました。 そういう 恋が2度ほどありました。また、私自身が近くの病院の院長が開業4する際のお手伝いをいわれ、そうしているうちにこともあろうに院長が前の病院の看護士と不倫関係にあることがわかり院長から院長の奥さんの面倒をみてくれ..といわれ私が院長の奥さんの不倫相手になってしまいました。 しかし、相手は17さい年上で子供さんもおらせれの中で私は戸惑いましたが何度か院長のいなて時に奥さんと一つのベッドで寝泊まりしているとなんともいえない男女の仲になっていくのがわかりました。 私は26さいです。彼女は43歳です。本当に43歳でもかわいくて仕方がなかったですね。でも平成11年院長がなくなってからその幕を閉じました。

若き日の思い出の私について

私は、幼少期より重度の言語障害者てす。一つの言葉を話すのに5分以上はかかりあいうえおが全くいえませんです。 ですからいつもクラスのみんなから馬鹿にされどもどもりと盛んに馬鹿にされていたようになきがします。そういう私ですからどうしても学校へいくことに消極的になりついつい学校を休みがちになっていたようなきがします。 しかし、馬鹿にされればされるほど私はその差別と戦ってきたような気がします。そのうちにそんな自分を応援してくれる女子生徒KFさんたちが現われたのです。 そこで私は、思います。人間の魅力は勉強が出来るとか出来ないとかの問題ではなく一つの障害に向かって必死に戦うその後姿にこそあるのだとい思うようになったのです。 その彼女とはいまは結婚も何もしていないのですが56年たっても世界最愛の女性であり目を見つめただけで心と心が通じ合った中です。彼女とは結局お互いがお互いの道にすすむまで当事は携帯やパソコンなどない時代でしたから文通でお互いに何千通というやり取りをしています。 そして、そんな彼女は中学校の担任の先生に将来私とずっと一緒にいたいといってくれたようです。あんなわたしにとって夢のような出会いでしたがいまとなっては本当によき思い出です。

高校から大学時代の恋愛

私は、実業高校出身でしたので大学部も2部を選び昼間は兄と同じガソリンスタンドで働きながら16時になると大学へいくので帰らせてもらい学校へ向かいます。 そのころは本当に学校が愉しくて愉しく高校時代の寮生活と違って思いっきり勉強できるのが恋愛より何より勉強できることが愉しくて溜まらなかったです。 しかし、あるとき大学の自治会で合同ハイキングがありそこでいろんな女性と知り合ったのです。そのうちの一人は、3部制の大学に通っていて小柄で3歳年上で余りにかわいかったので手紙を書いて振られた思い出があります。 振られた理由は女性からみると3つも年下だと弟のようにしか見えなかったというのが理由だったようです。また、それいがいにもさそり座の女の子にも一つだけ年上でしたが手紙を書いて見事に振られました。 当事はフォークソングの全盛時代でギターを弾けない男性は魅力にかけるといわれギターの弾けない私はどうしても振り向いてもらえなかったようです。 しかし、ある大学の文化祭で大学の友人が私を誘ってくれて3つ上の同じ振った女性と同じ3部生との文化祭のいったときに私を紹介してくれたこともあります。 そして、ギターグループと私のグループとに分かれて互いにい異性の心の掴み合いをしたこともあっようです。